えこひいき日記
2012年3月11日のえこひいき日記
2012.03.11
今日は京都マラソン。震災から1年というタイミングでもある。
市内はマラソンのための交通規制が行われるので、クライアントの受付を制限した。そのために少し自宅に居られる時間が増えた。ありがたいことである。
最近はまったくHPを更新できない日々でありました。
理由は単純。「いそがしかった」から。忙しさの内容はやや複合的。
わかりやすい(?)内容成分としては、確定申告時期の書類整理があったこと。手間とエネルギーを要するクライアント業務が集中していたこと。
こういう仕事って、ある意味ではやりがいがあるのだが、別の面から見ると壮絶に虚しくもある。私は自分の助力を必要としている「こまっている(ないし、こまった)ひと」の列を見て嬉しがるほど性格がゆがんではいない。他者の困難を材料に自分の「やりがい」を築いて存在意義とするなんて、歪んじょる。なので、おらおら、一刻も早く本当は自分で歩いていける力が在ることに気付けよ、と思って粛々と仕事を進めるわけだが、
そんなさなかにふと、どうして「人生」がこんなに複雑になるんだ、人にとって「生きている」ってどういう状態だと満足してもらえるんだ?!とか思っちゃうと、突然絶望的に虚しくなることもあるのである。
多くの場合、それは単純に私がフィジカルに疲れ始めていることに起因するのだが。そんなタイミングに極私的に“八墓村”みたいなことにもなり、大変くたびれた。
くたびれる、ってなかなか厄介だ。実は本質的には何のダメージも受けていないことですら、傷ついてしまったような錯覚を覚える。あぶない。いつもどおりの他人の理解や無理解の程度が、ことさら無理解に偏ってきたような錯覚を覚える。あぶない。
そんな中でも逗留中の猫たちはすくすくと元気に育った。まるも寿音もそれぞれ個性的。
引き取り先の事情で今もって逗留中のお子達なのだが、元気なのが何より。
まるは、一見おとなしやかにみえて、実は断固とした性格。寿音と比べると、鳴き声も控えめで動きもおっとり。人間との間に「対話」と呼べるようなレスポンスも活発ではないのだが、突然意志を固めて人間にぶつけてきたりする。例えば、人間が何をしていようとも、「膝に乗る」と決めたら絶対に膝に乗ってくるし、「甘える」と決めたら断固として甘えるのである。
一方、寿音は立派な“甘えん坊&暴れん坊将軍”に成長した。寿音はまるに比べて細身で筋肉質だし、動きも早くてすばしっこい。人間の動きや声への反応も機敏だ。常に「あのね、あのね、僕ねー、僕はね」と言っているような感じだ。とにかく自分が気が済むまで甘えたいし、気が済むまでおもちゃを追っかけたい。
そんな性格の違う二匹が意外と(?)仲良しで、無言でレスリングを繰り広げたかと思ったら、お互いを枕にして眠ったりしていたりもし、また離れてそれぞれ遊んだりもし、ラブリーなことこの上ない。
すなおな命だなあ、と感動したりする。
また、子猫騒動以降、自宅で暮らす猫・奏(そう)との暮らしもぐっと親密になった気がする。
奏はうちに来たときから「いい子」過ぎて、本当には何を望んでいるのか分からないところがあった。でも、子猫がやってきた騒動を通して(子猫の行動に対して自分を抑えたり、我慢しきれなくなって体調を崩したりしたり、自分ひとりになって喜びを爆発させたり)「自分を出す」ということをしてくれるようになり、結果、私もすごく暮らしやすくなった。辛い想いをさせて申し訳なくもあったけれども、こんなことでもないとわからなかったこと、変わらなかったことがあったと思う。
これから先、奏も年をとり、私も年を取って、同じメンバーで暮らす暮らしの中にも、緩やかに、しかし途切れることのない変化が起こり続けると思う。その変化は、嬉しいこともあれば、困ったこともあるだろうと思う。子猫騒動のときのように、災いでもあったけれども結果福、ということもあるかもしれない。そうしたことに向き合い続けられたらいいな、と思う。暗い予想とか過剰な期待とかで視界を濁らせることなく、そこに本当にあるものと向き合って。