えこひいき日記
2013年11月18日のえこひいき日記
2013.11.18
左膝の前十字靭帯断裂に関連するご報告です。来年2月に手術を受けることにしました。今のところの、お休みの予定を『最新情報』に掲載しています。レッスンではクライアントさんには個別にお伝えし始めているところです。
9月に高知で怪我をし、京都で「とりあえず」診察を受けたのだが・・・何度か(正確には、それなりに気合を入れて2回)医師に手術に対する要望を伝えたのだが、どうにも伝わらず。なので皆さんから教えていただいた情報を基にし、手術を受ける病院を探すことにした。
その病院は、ものすごく混んでいた。初診の時など、午前8時過ぎに病院に着いて正午を過ぎても診察が終わらず、その後に仕事を入れていたので途中で帰らざるを得ないほどだった。 とはいえ、診察はとても丁寧。とても細かく様子や要望を聞いてくださるし、画像検査も追加されて可動域を調べたりした。「ストレス診断」と呼ばれる、膝にわざとずれを起こさせるようにプレッシャーを与え、その状態をレントゲンで撮影するというものも行われた。
その結果、私の膝はもともと可動域が大きく(それは知っていたが)、それがどのくらいの大きさかと言うと、怪我をしていない右膝でさえ、いわゆる「まっすぐ」にしか膝が伸びない人が前十字靭帯を切ったとして「手術が必要」とされるレベルまで「ずれる」、と判明。怪我をしている左に至ってはその倍「ずれる」。今は大丈夫でも、10年くらいの単位で考えれば膝の内部組織をさらに傷めることは想像に難くない。というわけで、手術即決。
手術が決まり、「術前リハビリ」が提案された。本格的なリハビリは「術後」に待っているのだが、手術前からからだを整えておくことで、術後の復帰を速やかにするのが狙いである。
院内の理学療法士の先生に予約を取り、身体状況を調べてもらった後、リハビリ方針が決まっていった。曰く、私はかなり可動域が安定しているし、筋肉の衰えも少ない。とはいえ、どうしようもなく「かばう」ために左よりも右の腰や足の筋肉が疲労していてこれが「やばい」。右をケアしながら、願わくば手術と入院で落ちるであろう分の筋力を今から上げておいて、落ちたとしても今と同じくらいになるようにする!を「目標」とすることになった。すごく心強い。
何が心強いって、まず、自分ではどんなに気をつけてもケアしても、ケアしきれなかった右の臀部や脚の筋肉のケアをお願いできることだ!PT(理学療法士)の先生曰く、「ものすごくまんべんなくかばっている」とのこと。「普通、もっとかばい方がどこかに集中することが多いが、足の親指の筋肉まで使えている」とのこと。そういうフィードバックを聞けるのは新鮮だし、自分でやると時間も手間もかかってしまうこのケアをお願いできると、ものすごく楽になった。
あと、話を「聞いて」、「還して」もらえること。聞いて、聞き流す、ではなく、ちゃんとポイントを捕まえて見解を返してもらえるのだ。そのやり取りの成立には、解剖学的知識や、運動感覚に関する経験的なものなど、共有できる要素が多いこともあってかもしれない。でも、それだけではない。私は多分とてもいい先生方に恵まれたのだと思う。
2回のリハビリでかなりやばかった筋肉の疲れが取れたので、3回目からは筋トレ開始。ボールを使った屈伸運動や、腹筋を必要とするホールを使った運動、エアロバイクなどのプログラム。怪我をしたときから脚への負荷を減らすために自分で体幹のトレーニングをしていたからなんとかついていけたが、考えてみればなかなかきついプログラムなのであった。でも楽しい。思わず燃えてしまう自分が怖い。
それにしても、私を担当してくださる理学療法士の先生はとにかく患者を「乗せて」リハビリを進めてくださる。小さなことでも褒め、とかく暗く辛くなりがちなリハビリテーションに「前向きな息吹」を息づかせようとされているように思う。「褒められる」「乗せられる」ということも励みになるのだが、でも褒められたから嬉しいのではなく、そのように丁寧に「観察」という「ケア」の目を向けていてくださることが、心強い。少なくとも、私はそう感じる。
担当医師の先生もそうなのだが、とにかく私の話を「聞こう」としてくださる。「どんな感じがしますか?」「どうしたいですか?」…私の話を聞いたうえで、自分の目で観察し、見解を述べてくれる。一見、当然と思えることかもしれない。でもこれがものすごく地味に持続的にエネルギッシュな作業だということは、私なりにわかる。すごいことなのだ。すごくて、まともだ。
それは自分の見解(主に一般論としての症状の説明)だけを先に言って個に関する観察をほとんどされなかった最初の病院の対応とは、まったく異なる。
怪我から2カ月ほどたったこともあり、動きはかなり安定していて、本当にうっかりすると靭帯が切れていることを忘れそうになる。だからこそ、振り返れば1か月前だって「それなりに」安定していたと感じていたが、今思えばやっぱり今より不安定で、動きにくかったよね、やっぱ痛かったりもしたな、と感じることがある。
でも私は「痛いからやめよう」「動きにくいから動かない」ではなく「痛いけど動かせる」「動きにくいけれど動ける」方法を「考える」方に向かってしまう。自分のからだを「実験」するみたいに。ここが動きにくいならこっちの筋肉を使えるな、とか、この動きとこの動きを組み合わせてフォローする方法があるな、とか、そういうアイデアが出てくる方が多少の痛みや違和感よりも多めに「楽しい」と感じてしまう。クライアントさんには「業ですね」と笑われたのだが、職業意識というだけでなく、私はどうもそういう「サバイバル」方法を選んでしまう性格らしい。とはいえ、恐怖や嘆きの感情と感覚が無いわけではない。その「ひきだし」が私の中に存在することは知っているし、日々感じる疲労やがっかりする出来事や理不尽と感じる何かがきっかけとなって、その「ひきだし」を簡単にフルオープンできることも知っている。
でも、しない。
しないで済んでいる、ともいえる。
日々感じる疲労や理不尽を、何とか溜め込みすぎずに制御できる健康状態(身体的、精神的、周囲の状況を含めての)にいていられるからだと思う。それはシンプルに「luck」と言っていいことなのだと思う。私はラッキーなのだ。
膝の状態は常に右肩上がりというわけではなく、時には些細な動きで痛みを感じたり、右の筋肉の状態がやばくて動きが辛くなることもある。しかし不思議と恐怖感は無い。
まあ、リハビリが「本格的」になるのはなんといっても「術後」だ。痛みが大きくなることは予告されている。私はそれとどう向き合うのだろう。不安とともに、どこかちょっと楽しみでもあったりする。(何故?)まあ、耐えられないほど痛ければ、遠慮なく泣き喚こうと思っている。私は「わたし」を助けていこうと思う。私の思い通りに「わたし」を操るのではなく、私が「わたし」を理解し、真に思うことができるよう、助けてあげようと思う。