えこひいき日記

2014年2月9日のえこひいき日記

2014.02.09

病室に居る。現在術後5日目、入院6日目。
この5日間の自分の状態の変化というのは、めまぐるしいというほかない。なかなか面白かったので書いてみようと思う。

入院した病院の設備は申し分ないものだった。病院を新しく建て替えたばかり、ということもあって、病室はきれいだし、何気に最新設備。患者が快適に入院できる設備(入浴、洗髪、洗濯室など)も揃っているし、ありがたいことにご飯がおいしい。また、整形外科中心の病院であることもあって、内科中心の病院とは雰囲気が違う。怪我はしているけれど、元気な患者さんが多い気がする。入院棟に入院必需品や飲み物の自販機に混じってバームクーヘンや菓子パンが入った自販機が置いてあるなんて、例えば食事制限の多い内科系の病院では考えにくい。
入院した日は準備や検査で一日が終わり、不思議なくらい不安感もなく、よく眠った。夕食を最後に絶食。

手術当日は、朝10時以降絶水。胃に何かが残らないこと、脱水を防ぐこと、という条件からそれまでにお水やほうじ茶、スポーツドリンクを摂るよう勧められる。手術室には、点滴しながら徒歩で行った。手術室に入ると、病室や診察ひつとは打って変わった「効率機能優先」の雰囲気が広がっている。何となく、厨房っぽくもある。なぜかDefTechのデビューアルバムがかかっていて「これって誰の趣味かな?なんでDefTech?とか今聞いたらまずいかな」とか思っているうちに、口に当てられた麻酔3呼吸目で意識が無くなった。

マドリッドの美術館でピカソのゲルニカを探していたら、病室で目が覚めた。あともう少しでゲルニカのまん前までいけたのに、遠めに見ながら近づいていっているうちに「こっち」に戻ってきてしまった。
それにしてもなんでゲルニカなんだろう??20年以上前にプラドで実際に見てはいるが、それ以前も、それ以後も、ゲルニカを夢に見るほど関心を持つことなど無かったと思うのだが・・・
目が覚めた直後は凄く寒かった。布団を2枚重ね、さらに電気毛布を被せていただいているのに寒かった。幸い傷みはほとんどない。だるいような眠いような感覚に私は覆われているのだが、眠いのに深く眠ることが出来ない。2時間おきに血圧や体温のチェックがあるせいもあるのだが、これが「しんどい」ってことなんだな、と後で思った。
やがて酸素マスクがはずされ、電気毛布もはずされて寒気も去った。でも眠いのに眠りきれない空気だけが居残り続けた。

術後1日目。眠い空気が居残り続けている。微熱もある。手術当日が1日絶食だったので、朝ごはんをおいしくいただいたのだが、この「おいしい」感覚が「食欲」と上手くつながらない。「おいしい」のに「食べたいより寝ていたい」という感じ。多分これを「しんどい」というのだろう。左足は大腿部の半ばまでシーネと呼ばれるギプス固定され、ぐるぐると包帯で覆われている。当たり前だが、動きにくい。そしてそこそこ重い。看護師さんによると「筋力の弱い方は自分で脚を持ち上げられないこともある」という。やっぱりね。シーネに気をとられて、爪先あたりから持ち上げると壮絶に重い。股関節から挙げるのがコツ。とにかく、このシーネつきの脚を持ち運ばなければトイレにも行けない。このときほど個室内のトイレが遠く、自力でトイレに行くべしという指示を「鬼」と思ったことは無い。なんか「できる気がしない」のだ。これも「しんどい」の同義語なんだろう。目の前にある洗面所にいける気がしない、歯を磨くのが壮絶に技巧的な作業に思え、顔を洗うにもまず立っている姿勢を安定させるのに苦労する。なんせ左足は床についてはならず(うっかりつくと、足に電流が走るのだ!とはいえ、骨折ではないから、痛いだけで損傷ではないから、と担当理学療法士に教えられる。そうだと思う。でも痛いよぉ)、座るにしても大腿の半ばまでシーネがある。シーネが座面にかからぬよう浅く腰掛けると洗面台の前ではとても蛇口に手が届く位置ではなくなるし、トイレの便座も不安定なこと極まりない。

術後2日目。シーネとの折り合いのつけにくさは続く。だるさで上手く食事が食べられなくない。それでも「おいしい」とは思う。まあ、外側から装着しているシーネと私の関係も微妙だが、私の身体の中では、私の左脚の半腱様筋が46年間たゆまず努めた脚の筋肉としてのお勤めを突然「辞めて、本日より前十字靭帯として着任して」といわれたばかりなのだ。この突然の体内人事を、私の身体はどう受け止めているんだろうか。リストラとか左遷とは思わないまでも、「ええーっ」ではあろう、最低でも。戸惑ってもいい、がんばれ私。ありがとう私。適応してくれ。応援するから。何が応援として正解なのかも迷いながらだけど、私は君が私のおニューな左前十字靭帯に着任してくれることを両手を広げて歓迎しているのだよ。新しい十字靭帯さんに伝わるといいな。

術後3日目。3日目にして、トイレの座り方について私なりの「正解パターン」を見出してきた。それは「左脚を挙げて支えたまま、便座に深く座る」というもの。これだとウォシュレットも使える。まあ、ちょっとアクロバティックだが。
だから、ではないが、ようやく体調も上向きになってきた。こういうことって、変化してみて、振り返って、初めてわかる。自分の「あの状態」は「しんどい」だったんだと。
今日からシーネをはずして機械に脚を乗せ、30分間機械的に膝を曲げ伸ばしするリハビリが始まる。このリハビリの間自分寝た姿勢なので実際に膝の角度を見ていないが、微々たる角度しか曲がっていない気がする。それでもいい。そこに焦りはない。身体の感覚に耳を傾けようとするが、いまだに居座り続ける眠気に襲われ、しばしば気を失いそうになる。
とはいえ、回復は周囲にも明確なのだ。理学療法士さんとのリハビリでは今日から松葉杖を使った歩行が開始されたのだが、「ようやく顔色が戻りましたね。善かったー」といわれる。「芳野さんて、凄くしんどそうなのに、しんどいって言わないからなぁ」と言われた。

そういわれて「しんどい」って何かな、と思った。私はどういうときに「しんどい」と言うのかな、とか。振り返ってみると、あの「一日中眠いのに眠りきれない感じ」や「やれる気がしない」のことを「しんどい」と呼ぶのだ、とわかるのだが、私の中ではそれを「しんどい」という言語表現をする習慣があまり無いことに改めて気がつく。術後二日間を、まるで手術など受けなかったかのように元気に過ごすなんて、無理だと思う。知識と感覚で、あれで「普通」だと思ってしまう。だから、私は「しんどい」を受け入れてしまうのかもしれない。それで「しんどい」とは発言しないのかもしれない。別に我慢しているわけじゃなくて。もし、誰かに「しんどい」と言うとしたら「限界です」という「宣言」としてしか自発的には使わないかもしれない。うーん・・・それはそれで危険だな。

また、看護師さんや医師からしばしば「痛みの具合はどれくらいですか?0から10でいうと、いくつ?」という質問を受けるのだが、この質問も具体的に考えれば考えるほど分からなくなる。あいまいに「2」とか言って、「強いですねー」といわれるのだが、この「2」が正確なものなのか、自信はない。ただ、我慢しているわけではなく、私は本当にあまり痛まずにこの状態を乗り切っていると思う。ラッキーである。
「しんどい」談義のついでに、理学療法士さんに「あの、痛みのバロメーターも難しいですね。10って、何を想定する感じですか?」と聞くと「今まで経験した痛みの一番のヤツ」との返答。だが本人も「といっても、いろんな種類の痛みがありますからねー」と悩みだす。
今まで経験した一番痛いこと・・・私、割と忘れるんだよね。痛み止めを打ちながら踊った本番、アメリカにわたった直後襲われた冷や汗が止まらないような生理痛、凄い裏切りにあったときに眠れない夜の全身の感じ、今回の靭帯損傷直後の目の前が真っ暗になるような痛さ・・・ちゃんとあったことだけど、過ぎれば意外とどうでもいいと思っている私は、なんなんだろう。
そういえば、術前の麻酔科検診の中で「ショックを受けやすいほうですか?」と質問されたことがある。返答に困ったので「例えば?」と聞き返すと、医師は「例えば、お気に入りのイヤリングをなくしちゃった、とかの場合、どうします?」というので「お気に入りのものなら、なくせばショックですけど、探して見つからないなら、仕方ないな、と思います」と返答すると「うん!お強いですね」といわれる。麻酔の効き方・覚め方の観点からいうと、悲観的な人は支障が生じる可能性を考慮したほうがよいそうだ。なんか、泣きっ面に蜂みたいなお話である。麻酔科の医師には「術後の痛み止めの点滴で、8割の女性が吐き気を覚えるので、覚悟して」といわれていたのだが、それもなかった。私はラッキーだな。

でもね、単なる比喩として以上のリアリティで、私のいろんな部分(物理的なものからそうじゃないものも含めて全部)が私を助けている感じがする。こんなにも自分は自分に冷静で親切で、私自身はこんなに助かろうとしているんだ、という発見をした、というか。目立つショックやインパクトだけを記憶や予想の基底にしないように、痛みに流されないように、悲しみの溺れないように、焦らないように、がんばり過ぎないように、がんばり続けられるように・・・ありとあらゆる私が私を助けてくれている気がする。多くの方に助けられながら、そのアドバイスや感想に、振り回されるでもなく、へりくだるでもなく、意地を張るでもなく、ひたすら「平等に」「対等に」向き合うことで、容易く訪れそうな「うんざり」を埃を払うようにさらっと払う自分がいる。私は私を、こんな私だとは思っていなかった。
それは理性的に言えば、私の仕事的な知識であり、きちんと行った術前リハビリの賜物でもあろう。努力をした。助けも得た。でも、それだけじゃない。危機に際して思いがけなく「開く」何かがある。とても信頼できる何か。へんな言い方だけど、これは今回の収穫だったと思う。

洗髪を許可される。3日ぶりだぜ。洗髪室で髪を洗うのには悪戦苦闘したが、かなりさっぱりする。

術後4日目。本日から日中はシーネをはずして過ごす。足首、膝の関節をロックされた状態から解き放たれると、なんだか変な感じだ。開放感と心もとなさ。足首を廻してみる。バリバリするが、よく動く。それにしても、わが左脚に触れてみて温度が右と全然違うのに驚いた。冷たい。色も悪い。うぇぇぇ。きもい。新しいファミリー形成の模索は続く。
朝に膝が動く角度を測定すると60度くらい。昼ぐらいに再度測定すると、85度。「驚異的」と看護師さんに誉められる。夕方のリハビリで出た角度は120度。無理して曲げているわけではない。でも退院に向けて希望の持てる数値。
リハビリでは左脚に30%の体重をかけての松葉杖歩行練習。両側に手すりのあるところに立ち、左の足元には体重計を置き、30%の加重を体感で覚えていく。左脚を地面に初めてつけた時は、左脚の底が膨らんでいるような感じと、びりびりするような、新鮮な感じがした。筋肉にとって重力の記憶ってこんな感じなのだ。重力を忘れているとか思い出すというよりも、今の身体で受け止めて再起動するときの火花、みたいな。幸い痛みもなく、左脚を床につけるようになったことで飛躍的に動きがしやすくなった。数日前までは、共有スペースにあるポットのお湯でコーヒーを入れたいと思っても、脚を突いてはいけない松葉杖スタイルだと、カップを持つことすら出来ず、あえなく「遭難」。通りかかった看護師さんにヘルプを頼まねばならない状態だった。患部を冷やす氷も適宜共有スペースまで取りに行かないとといけないのだが、ちょっとした決心が必要だったこの作業が、気晴らしかたがた行えるくらいになった!ブラボー!

そして本日術後5日目。日曜日なので理学療法士さんによるリハビリはお休み。機械による30分の曲げ伸ばしはある。120度をキープ。膝を伸ばしきって座っているのも辛くなくなってきた。
昨晩は午前1時半に一旦目が覚め「そだ!フィギュアスケート見よう!」と思ってテレビをつけてしまい、そのまま5時近くまで眠れなくなってしまった。はっと気がついたら、朝の検温の看護師さんが入室してきたところであった。
でも、「夜中にテレビを見ようと思える」というのも、回復の手ごたえである。術後1日目、2日目はテレビを見る気が出てこなかった。本も、入院当日には新書1冊くらい読めていたのが、術後1,2日目には広げてみても入ってこない。音楽だけは聴けて、ひたすらdaft punkのDiscoveryをローテーションさせていた。意外と、ゆったりしたテンポの曲とか、クラシックとか聞けないのよね。何故なんでしょう。

さて、今後もどしどしリハビリは続く。どうなっていくか、また面白かったらレポートします。

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