えこひいき日記

2014年11月11日のえこひいき日記

2014.11.11

本日をもって前十字靭帯手術後のリハビリ(トレーニング)は終了!
終了時期の判断は、手術をしていない右脚の筋力を100とした場合に手術をしたほうの左脚の筋力が総合的に80を超えることを基準としている。私の場合、部位にもよるのだが86~95だった。まあ、他人様から「すごい」と言われるようなことをしても右と同等ではないのよねー。とはいえ、右の筋力も勝手に増えちゃったので、どこまで行っても追っかけっこになる様相ではある。「格闘技をする人ではないから、自分の体重をどう支えるかが基本ですが、寒くなるので筋肉が能力を発揮する状況を整えることを念頭に置いて、自宅でも運動してみてください」とトレーナーに言われた。お世話になりました。ありがとうございました。
今後は、来年にMRI検査をし、問題がなければ脚に入ったままになっているチタンのボルトを抜く手術をする時期の相談をする予定。

話はガラッと変わるが、
著作を読んでくださったクライアントさんから「救われた」と言われた。「どういうところにですか?」と聞くと「“これが最初でもなく、最後でもない問題に向き合う”と書いてあったところに」とおっしゃる。それはどういうことかとさらに聞くと、「私、毎回“最後にしよう”として戦っていたような気がするんです」とクライアントさんは続けた。「この問題で二度と悩まなくていいように、最終的で完璧な答えを出さなくちゃ、と毎回気張っていた。それで苦しかったんだと思った。でも“終わらないんだ”と思ったら救われた」。
生きていく勇気がある人なんだな、と思った。そういうクライアントに恵まれて私は幸せである。

「これが最初でもなく最後でもない」
このクライアントさんとは逆に、この言葉に一種の絶望を感じる人もいるかもしれない。
でも、日常の問題とはたいてい「これが最初でもなく最後でもない」のだ。「そのたびごとにできることをする」というのが現実的な「完璧」なのだ。
でも、脳と呼んだらいいのか、感情と呼んだらいいのかわからないが、人の思いはそれとは違うことを「それ」と思っていることが多い。なんと多くの人が「最初にして最後」「もう二度とこれをしなくて済むよ」やり方を「ちゃんとやる」ことだと思っていることか。
そういう意味では、ターミネーターってあながちSFでもないんだな。みんなターミネーター。みんな「終わらせよう」としている。「やろう」じゃなくて。

「これが最初でもなく最後でもない」「明日もこれができる」「この続きができる(かもしれない)」と思えることは幸福だ。
以前、ファッション・デザイナーのカール・ラガーフェルドに関するドキュメンタリーを観た時に思ったことがある。ドキュメンタリーを観る限り、この人物は聖人でもないし君子でもなかった。自身でも「自己演出が過ぎて、なにが本当の自分かなんてわからない」と、それすら本気かどうかわからないような口調で言っていた。その自己演出は素敵だし、才能を行動に変換し、その行動を経済効果と人脈に変換してきた興味深い人、ただ個人的には好きになれないかもしれない人なんだけれども、でも映画を見ていて「いいな」と思ったことが一つある。
「彼はきっと“今日も続きができる”と思って朝目が覚めるんだろうな」と思ったこと。
それは単に私の思い込みかもしれない。思い込みかもしれないが、そう思った。「またこれか」とか「やらねば」ではなくて、朝起きて、今から始まることを楽しみにできる。そんな気がして、「私もそうしたいー」と思った。「これを最後にしよう」と思ってはだめだ。というより、たぶん、そんなことは本質的に自分では決められない。終わりたくても終わりたくなくてもいつか終わりは来る。だから自分で終わりを目指す必要はない。ただ、終わるまでの時間、どう「する」か…私にどうのこうのできるのはそこだけなんだろう。その「どうのこうの」が人生なんだろうな。

幸福のためにレッスンができるだろうか、と考える。

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