えこひいき日記

2015年5月5日のえこひいき日記

2015.05.05

ゴールデンウイークですよ。特に旅行などには行かず、用事をしていると終ってしまいそうな気配。あ、でも東京にお礼参りとライブ「quilico」という、山田敏明さんと近藤研二さんの“猫中心”ユニット、そしてイラストレーターの木下綾乃さんの原画展のライブ)行ったり、PARASOPHIA観に行ったりしたよーん。

ま、特に派手なお出かけもしないので、期間中は日ごろ仕事で着られないけど服を着てみることにした。気に入っていても、仕事には着ていけない服ってあるよね。そういう服着ていくと事務所で着替えにゃならんし、めんどうだし。そういう「めんどう」をめんどくさいと思う程度のファッションセンスなんだよ、私。すまんね(誰に??)。

そういう服を着て出かけて、待ち合わせで人を待っていると、知らない白人の老夫婦から話しかけられた。日本語で。なんか、服装を褒められた。
最初はイスラエルのデザイナーによるアクセサリーのデザインが変わっているからかな、と思っていたらおもむろにカメラの中の画像を見せられた。映っていたのはクロアゲハ。
ちょうど着ていた黒のフレア気味のカットソーと、アクセサリーの感じがこの蝶のイメージだったのかな。わざわざ単体で蝶を撮るくらいだから、蝶々がお好きなのかもしれない。
細かいことは未確認なまま笑顔で手を振ってお別れした。
とにかく、流行やらなんやらに全く敏感ではない…ゆえにファッションに自信というものなどみじんもない…ので、他人様から「服装を褒められる」など意外すぎてびっくりした。嬉しかった。
それにしても、見知らぬ人の服装をいきなり声かけて褒めるなんて、なかなかないよなー、やはり、こういうコミュニケーション力は「がいじんさん」らしいって感じかなー、などと頭の中で呟きながら、
ふつうに、さりげなく、人をハッピーにする行為っていいなー、それってなんだろなー、
などと考える。

私の仕事は、時に重々しい。
とまではいかなくても、シリアスになりがちである。笑顔で冗談も言いつつ仕事をしていても、シリアスさが不可欠なことも承知している。

必要である一方で、私、シリアスになることが好きなんではないかと、先日突然思った。すごく好きなもの(作品とか、曲とか、料理とか、形になって表出されたもの)であっても、作り方にぬるさを感じること、不要なゆがみが含まれていたり、言い方が悪くて申し訳ないのだが「この程度か」みたいなものが混ざっていることにけっこう嫌悪感を抱いている自分に気が付いてしまった。
逆に言うと、「そこ(あり方ややり方)」に嫌悪していても「結果(曲や作品)」は好きなんだが。「嫌いでも好きとは思うんだー、わたし」と自分で感心しつつも、たぶんそう思えるのは他者が選んだやり方だからであって、自分はそのやり方を選ばないんだと思う。たぶん。

私は、真剣になるとシリアスになる。自分をあるところまで追い込みたくなる。追い込んで、追い込んでいることを表出させるんじゃなく、「なんでもない感じ」にまで仕上げてしまいたい、と思ってしまう。でも、それは簡単なこととはいいがたく、厳密に言えば、望んでいても今まで「最高」なところには到達しきったことがない気がする場所だ。
仕事でこの「シリアス」を使用できると、自分の中の必要な部分に集中して、頭の中の複数のスクリーンの情報がリンクし始めて、新たなビジョンやアイデアが出てくる。それがクライアントに伝わる。そこから見えるものが好き。

普段、仕事をしていてクラシック系の素養を持つアーティストや、表現感覚のあるアスリート、真剣に自分自身と向き合おうとしている人と仕事をするのが楽しいのは、「シリアスになる」ことの利点を存分に生かせるからかもしれない。そのフィールドにおいては、無駄や余分や言い訳をたくさん含んだ自分を「ありのままの自分」「自分そのもの」などとはほざかない。突き詰めて、突き詰めて、軽やかになる。研ぎ澄ましているけど、柔らかくなる。雑味が消えて本質が姿を現す。その人にしかできないやり方で、その人が望んだものが姿を現す。そのことに、本人も感動してくれたりする。知っているようで知らない、自分の中にあるのになかなか取り出せない、自分のすっごいところ。素敵なところ。それが姿を現すと、単純な表現だけど、感動すると思う。私は感動するんだよね、実際。
他人の非難を避けるために恰好や個性を繕うのとは違う。「やってます」「がんばってます」をアピールするのとは違う。そういうのを方便として持っておくのもいいけれど、言ってしまえば外枠に過ぎない。素敵な押入れの扉だけど、中身は扉の印象とは合わないよね、みたいな。
そうではなくて、泳ぐグラスフィッシュの内部で心臓の動きや精緻な骨格が働くのをそのままみるような、遮られないものに「ひと」と「からだ」を押し上げたい。そういうの、好き。

それって私のエゴなのかな。

一方で、ゆるくても、気持ち悪くても、「いいもの」が出来上がることもある。
何かを延々と積み上げるような行為の果てではなくても、ほんの一言でひとをハッピーにさせる会話もある。

どっちが正しいかという話ではない。どっちもあるというお話。

ところで、先日東京で「quilico」さんのライブを拝見して、いっぱい猫のお話を聞いて、猫のことを歌った歌を聴いて、泣いて、笑って、私の中にある猫の存在の大きさにも思い至ったのでした。猫も秒殺で私をハッピーにしてくれるなあ。あぁ、猫中心で生活してぇー!!(これは純粋にエゴ!排除する気なんかないよぉー。ビバ!エゴ!)

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