えこひいき日記

2015年6月26日のえこひいき日記

2015.06.26

今年という年の上半期は、偉大な「たま」さんがおふたりもこの世から旅立たれた。地味にショックを受けている私。

おひとりは、かの、たま駅長。駅長の半生をニュース報道で振り替えるたびに、なんという数奇な猫生だろうと思う。そして人間と猫との関り、計画してもそういうふうには進まないだろうということが奇しくも進んでしまうことについて、思いをはせる。ほんとうに、人間にとって「猫」ってなんなんだろう。
もうひとりの「たまさん」は、知り合いのお寺の猫さんである。たま駅長と同じようなお歳だったが(もとは野良さんのため、正確な年齢は不明)、駅長より前に、この春に旅立った。もう1年以上も「弱ってきて、もうだめかも」と言われ続けていたのだが、この春の観音様の法要の日に旅立った。法要を終えて家の人が帰ってきたら亡くなっていたのだった。「観音様が迎えに来たのかもね」とお寺の方がおっしゃっておられた。

その寺にはとても強い観音様がおられる。悪魔を退治したという伝説を持つ観音様だ。お像の姿は美しく凛としているのだが、けして人を甘やかすことがなく、私も何度も自分の心の弱さからの泣き言をひとことで叩き落とされた経験がある(心の会話でね)。私は、たまさんは、その観音様からとても可愛がられていたと信じている。「かわいがられた」といっても、観音様から特別に何かを与えられたり、免除されたりというような手心のことではない。「ともにあった」という感じだ。たまさんもそれをちゃんと知っていたように思う。

このふたりの「たま」さんはいずれももとは野良猫というのも面白い。血のつながりや、金銭的な契約や、何かの決まり事ではない。ふらりとその場所にやってきて、受け入れられて、可愛がられて、いつしかその場所やまつわる人々にとってなくてはならない存在になる。すべてが偶然のような、必然のような流れ。人の思いや愛情を素直に受けて、その思いを体現する存在になる。そして「あいされたもの」が持つやわらかなオーラで、また人に何かを与えていく。人が人に与えきれない何かを。

地位や立場や、約束や、責任や、法律や義理と恩といったものに縛られてではなく、ただ「そうあることが自然だから」という「ただしさ」で、人生を生き抜けたなら、と心から思う。
猫に学びたい。
猫のようにいきたい。
猫みたいにしにたい。

ああ、私も立派な猫マニアになったもんだぜ。

ところで昨年私は3匹の猫の「母」となってしまった。
18年一緒に生きてきたメフィー亡き後、4年前に4歳で「うちの子」になった奏(そう)と、昨年推定2歳で「うちの子」になった楽(がく)、続いて秋に工事中のビル内で保護した当時推定五か月のひめが、「うちの子」である。

ひめは、当初里親探しをするつもりでいた。この「日記」にも案内を出した。いろんな方に里親探しのご協力もいただいた。しかしご縁がまとまりきらず、そうこうしているうちに、年の近い楽とひめは仲良しになった。元気でおこちゃまなふたりはよい遊び友達になり、同じテンションで思いっきり遊べることは、兄猫・奏にとっても「平和」と「元気」をもたらした。
いつか、どこかでまとめて書こうと思うが、楽は、とっても不思議な子で、並はずれてハイパー元気なのだが、なんだか不器用で繊細でもあるのだ。他者に対する攻撃性はみじんもないのだが、うまく自分の気分が表現できないKYなところがあり、より「周りが見える」タイプの猫には「攻撃的」「うざいやつ」にもみえる猫なのだ。
対して奏は、どちらかというと「周りが見える(周りに影響を受ける)(自分と他人が好き嫌いとは別に「違う」存在だとわかる)」タイプ。そして年齢のこともあり、楽のような激しい遊びよりも、少しまったりした猫ライフが好き。
考えてみればバランスをとるのがむつかしい二匹のアビシニアンを「兄弟」にしてしまったのかもしれない。今から振り返ると「あのまんまで奏と楽は大丈夫だったんだろうか」「私たちは平和に暮らしていけていたのだろうか」と不安になるが、当時はそれでも「うまくいっている」つもりだった。楽は一時期よりうんと落ち着いたし、奏も堂々とした「兄」ぶりで上手に距離をとっていた。
でも、ひめが加わった今から見れば、あの平和は危ういものに見える。今のほうがうんとバランスがとれていると思えるからだ。ひめは空気や関係性を読むのがすごくうまくて、強気にもか弱げにもなれるザ・女子!なのであった。「わーい」な性格の楽とはまた違い、上手に兄猫に甘えたり、かと思えば年上の猫だろうときちんとけん制もできるカチコイ女の子だったのだ。楽はひめと思いっきり遊ぶことでストレスがたまらなくなったし、そうしている間に奏は思う存分私に甘えたり、1匹でゆっくりする時間ができて、すごく平和になったのだ。また、シニア世代に足をかけた奏ではあるが、にぎやかに遊ぶおこちゃまコンビにつられて遊び始めるときも増えた。彼の健康のためにもいい感じ。

そんなわけでうまくいっている幸せ猫ライフなのだが、ひめを「うちの子」とし、3匹の「母」となることを決めた当時の私の気持ちは、どちらかというと不安で、責任感でめまいがしそうだった。私は彼らを最後までみてあげられるだろうか…もしものとき(災害や火事の時の避難、私が先に死ぬとか)どうしたらいいか…とか、見えない未来を見ようとして、見えない景色を不安の色で埋めそうになっていた。
でも、なんとかなる。
今を生きていれば。
その時々の「今」に寄り添いつつ「どう生きたいのか」を見失わなければ。
楽観的だけど、そう思う。

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