えこひいき日記
2017年11月29日のえこひいき日記
2017.11.29
マテラ石のファンになっておよそ半年くらい。マテラ石が事務所に届いて2週間ほど。
どういう使い方がいいかなあ…と考えたり、試したり、妄想の中で用途を広げたり(妄想だから予算と時間度外視の欲望全開のプランになりがち)しているが、今のところ、ごくシンプルなかたちが一番心地よい気がする。
つまり「どういうふうに」というところを新たに創造するというよりも、ただ今までの状況の中に「置く」「加える」、というもの。
例えば、こんなかたち。
これはホットカーペット(ちなみにこれは電磁波カット仕様)の上にマテラ石の板を置いて温め、そのまま座ったり、石の上にホットカーペットカバーをかけて使うというもの。
冬場なので、直に石に障ると冷たいかなあ、という思いからこうしたのだが、室内であるなら意外とマテラ石に直接触れてもそんなに冷たさは感じない。でもやはり温めると快適さは増す。温められた石からもじんわりしたあたたかさが身体に伝わり、とても心地よい。
個人的には、この石の上に座っていると、普段より細やかに自分の身体状況に気がつくことができる気がする。わずかに肩が傾いているな、とか、筋肉の一部に力みがあるな、とか、知覚しやすくなる。私は自宅にもこの石を置いているので、朝の日課として行っているヨーガをこの石の上で行ったりするが、特にバランス・ポーズが悠々ととれることが増えて、なんとも気持ちがよい。
また、あるクライアントさんはこの石に座ってストレッチしてみると、いつもよりずっと落ち着いて柔軟性を発揮することができたりした。その人は、関節等の可動域は十分にあるのだが、性格的に少しせっかちなところがあり、アレクサンダー用語でいうところの「end-gaining(結果に意識が飛んで動作の過程を飛ばしてしまう)」しやすく、できるはずの柔軟体操がコンプリート出来なかったりする。それが、この石の上で動作を試すとすーっと均一に動けたのだ。そばで見ていても実に美しかった。本人曰く「からだの中を流れる時間がゆっくりになり、その中にとどまっていられるような感じ」らしい。「いつもが、いかに焦っているのかがわかる」とのこと。
言葉は違うが私が感じていることと共通するものがあるように思う。
レッスンの観点からいえば「この石がなくては完全な動作ができない」のであれば、あまり意味はない。それでも、体得の過程として「できるって、こういう感じ」というのを味わうことは、望ましいからだの使い方を定着させる助けになると思う。この石に限らずあらゆる道具や装置、アレクサンダー・テクニックという方法論やレッスンという時間もそうなのだが、あくまで本人がしたいことをしやすくなるための「補助」なのだ。
マテラ石で作られた「青竹ふみ」も入手したのだが、本来の用途であるところの「踏む」ことももちろんなのだが、「ただ土踏まずを預ける」というのもお気に入り。例えばこんな感じで。
これはいわゆる「足温器」の上にマテラ石製青竹ふみを渡した状態のもの。デスクワークをするときに、この上にただ足を「預ける」ようにしていると、なんだかリラックスしたまま集中できるような気がする。
「集中」ってつい「緊張」と「興奮」で作り出してしまいやすいんだけど、そのように集中すると疲労しやすいし、視野も狭くなる。そうした方がいかにも「やってる!」という感じがして、手ごたえがあったりもするのだが、もしも自分にとっての「仕事」や「生活」を短期決戦ではなく「続いていく」あるいは「続けていく」ものとして考えているのなら、過度の緊張から脱して、リラックスした集中感を体得する方がよいと思う。単純だけど、疲れにくくなるし、疲れていることにも気が付きやすくなるから結果的に回復が早くなる。
とはいえ、「リラックスした集中感」はグッズによってのみもたらされるものではない。「回復できる疲労圏内で、一度立ち止まる」ことを受け入れるには、グッズを活かすためにも意識改革も必要かもしれない。そのあたりのことは『疲労と活力』ワークショップでもお伝えしたことだが、これもまた善き「補助」としていたっぐが組めるとよいな。
おまけとして、自宅にいる猫の「楽(がく)」がマテラ石でくつろいでいるところを。けっこうハイパーな性格なんで、なかなか珍しい光景かもしれない。