えこひいき日記

2001年4月20日のえこひいき日記

2001.04.20

昨日は、遊びに行った事務所でなにげに論議になっていた「はっさく(みかん)は八朔(旧暦8月1日)が出始めということで名前がついたのに、旬は春とはこれいかに」というのが気になってしまい、思わずほとんど徹夜で『広辞苑』やら『日本食材辞典』やら、はては『陰陽五行と日本の習俗』『今昔物語と医術と呪術』等々を調べまわってしまった。おもしろがってやっているんで、まあ自分としてはいいのだが、反面、自分で自分のこだわりにあきれる。徹夜でやらんでもいいと思うんだよな。

個人の生活習慣と文化的習俗や宗教の関係が気になって、陰陽術や密教の本を調べ始めたのはアメリカに住んで1年が過ぎた頃だったか。当然のことではあるが、習慣の違う土地に住んでみると「微妙な違和感」という感覚でこれまでの自分の習慣に気がついたりする。まじめな留学生や商社マンは、その「違和感」を克服して住んでいる国の習慣に同化しようといそしむが、私はマジメじゃないので、むしろその「違和感」がどこからくるのか、我知らず自分はどうしてきたのか、という方に興味を持ってしまった。

考えてみれば7日間が一つの単位をなす「一週間」という生活リズムで日本人が動き始めたのはそんなに古いことではない。もちろん、こうやってパソコンなど扱っているあなたもわたしも、恐らく生まれたときから「一週間」という時間の単位で区切られた太陽暦によるスケジュールをこなしてきたので、そんなに違和感があることではないが、それとあわせ技で挿入されている「祭日」というのは太陰暦で動いていたときのものだったりするせいか、私は時に「違和感」を感じる。つまり、普段の生活リズムとの関連が薄いタイミングでのカップリングであることが多い気がするのだ。休めるんだから、まあいいといえばいいんだけれど。それにアメリカに住むまでは、その「違和感」は単に「私の体が弱いから」とか、そういう理由で片をつけていた。ネガティブな感覚を「疑問符」として汲み取るセンスがなかった。
私が住んでいたアメリカという国は建国後の歴史の浅い国家であるせいか、国の祭日の理由が実にわかりやすい。リンカーンの誕生日とか、コロンブスが大陸を発見した日とか、サンクス・ギビングとか。国の祝日でもあるが宗教上の理由で祭日になっているクリスマスは、日本でいうと元旦のような感じで、街中はファースト・フード店でさえ休業するが、宗教に関係ない中国料理の店は営業していたりする。また、宗教上の理由で個人的に「祭日」することもアメリカでは認められている。(風邪が理由で連続して欠席しても「宗教上の理由か」と質問されたこともある)もちろんそれで授業や仕事が遅れた場合は自己責任において処理しなくてはならないが、その処理の仕方にも一定の規定が設けられている。

私はアメリカに行くまで「祭日」がなぜ祭日なのか、あまり考えたこともなかったし、外から決められたスケジュール以外のなにものでもないと思っていた(そのことすら意識していなかった)ので、「わたし」のリズムと「スケジュール」とか「カレンダー」の関係と意味をもう少し根本的に考えるいいきっかけになった。

それは、現在仕事でクライアントの話を聞く際に、俗に「生活のリズムの乱れ」とか「人と合わせられない」と表現される状況が何に由来しているのかを考える上で役に立っているように思う。ただしその中には重篤な睡眠障害や精神障害、あるいはほんとうに単にやる気がないなど、私の仕事では手におえないものも含まれている可能性がある。しかし「リズム」とか「スケジュール」というものの「解釈」(使い方)が偏っていて、多様な「解釈」が許されてしかるべき状況なのに何か一つのことだと思い込んでいることが原因である場合は、助けになれることもあるし、手におえない場合(今のとこないけど)それを知らせることが少しは手助けになるかな、ということもあるだろう。

「からだ」の問題って肉体の問題だけじゃないんだもんね。

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