えこひいき日記
2002年2月18日のえこひいき日記
2002.02.18
つくば・平塚での3日間のワークショップが終了し、京都にかえってきた。出張先でのハードスケジュールはいつものことなのだが、今回は「早朝移動」という私にとって最も苦手な条件が入っており、しかも物音に弱い私はこの期間ほとんど連続睡眠をとっていなかったので「どーなることやら」と思っていたが、ドーピング(栄養ドリンクね)する必要もなく、元気いっぱい仕事をしてしまった。そしてけっこう楽しかった。
今回はワークショップ参加者数延べ70人、全員気功を行っている人たち、というワークショップだった。「気功」という共通項目があるとはいえ、それへの向かい合い方はそれぞれだ。これは気功に限ったことではなく、そしてあたりまえのことかもしれないが、「向かい合い方」が素直な方は例えようもなく美しい。それは経験年数とか上手・下手には全く関係がない。その人なりに、ちゃんと気功を生かして生きているんだなあ、という人の姿は清清しいほどに美しい。そういう人たちとお会いできるのは人生の愉しみ、生きがいというものだ。その美しさが「からだの使い方」というアドバイスによってさらに鮮やかになるなら、まがいなりにもアレクサンダー教師と名乗っている者にとってこれほど嬉しいことはない。私がこの仕事をやっていて一番「よかったなあ」と思うのは、レッスンを受けてくれた人の生き方(・・というととても大げさに聞こえるが、具体的にはその人の日々の動作やものの考え方)をより生き生きとさせる、「使える」何かを伝えられたときである。
逆に、「正しく」あることというより「間違わない」ことにこだわりすぎて「間違っていないけど、正しいともいえない」ことしかできなくなっている人や、「気功」というものに使われてしまっている方にはなんと申し上げてよいやら、閉口する。基本的にその方の人生だし、私の人生ではないから、それ以上の興味はないのだが、それでもワークに参加してくれているその時間のあいだ、私はその人たちとどのように向き合うべきか、毎度毎度真剣に考える。物事に深く交わり、同時に自由であることは、本当に難しい。難しいけれど、私はこだわるのだ。自由であることに。でも他人様に強要する気はない。する気はないけれど、ワークショップやレッスンに参加してくれている時間内は、私は私の目から見えたこと・考えたことは伝える。それが相手にとって「痛い」意見であっても。そう割り切ってはいても、葛藤がないわけではないのだ。その人にはその人らしく生きていって欲しいし、傷つけたり、攻撃したいわけではないから。
こういうことを書くと私を「やさしい」などと勘違いする人もいるが、私はやさしくはない。ただ前者(気功を生かして生きる人)のような人対しても、後者(気功に使われて生きている人)のような人に対しても、どちらも「そういうふうにしか生きられない人間」というものを認めているだけだ。好きか嫌いかというと、後者は大嫌いである。ただ、嫌いだからといって別に自分の好みの方向へどうこうしたいとは思わないだけのことである。
短い2月も後10日ほどか・・ほのかに春の気配がする。