えこひいき日記

2003年6月24日のえこひいき日記

2003.06.24

始発の新幹線で東京に向かい、ほぼ最終の新幹線で京都に戻ってきた。やれやれ。寝不足が過ぎて、吐き気に見舞われながらの一日であった。
それにしても、今日の京都は大雨である。出るときも、一瞬タクシーのフロントグラスが見えなくなるくらいの雨脚だったが、帰りもまたすごくて驚いてしまった。東京でも雨は降っていたが、降ったりやんだり、というゆるやかなものだった。

今回の東京行きでは、個人的に「舟越桂展」を観ることを楽しみにしていたのだが、どっこい、これが私の大きな勘違いだった。なぜか私は「25日まで」展覧会が行われていると思い込んでいたのだが、実際は「22日まで」だったのである。そのことに気がついたのは昨日の夜だった。すっごいショックだった。悔しいので、空き時間に見ることが出来そうな展覧会を調べまくり、結局選んだのは原美術館で行われている「山本耀司展」だった。
原美術館は、場所がとてもよい。賑やかな品川駅前を御殿山方向に歩き、閑静かつ高級な住宅地を進むと、原美術館は現れる。大きな美術館ではないが、程よくいい感じなのである。
その道すがら、子猫にあったが、こちらを振り返りながら逃げていってしまった。でも猫にとっても居心地がよさそうな場所で猫に遭えたので、何となく気分がよかった。

その後、品川駅に戻ったらつかつかとおばさんが寄ってきた。「道でも聞かれるのかな、困ったな、地元の人間じゃないし」と思っていると、その方はいきなり「あなたは今大きな人生の岐路に立っているでしょ」と言った。「オオキナ ジンセイノ キロ」という音声が、一瞬自分の中で意味を結ばなかったのだが、曖昧に「はあ」などと言って、そのまま電車に乗ってしまった。
なんなのだろう・・・まあ、新興宗教関係の方かしら、と思ったのだが、私、たまーに占い師?とかから声をかけられることがある。以前、アメリカに住んでいたときもインド系のサイキッカー(?)から「あなた、すごい光が出ているから、よかったら一度うちに来てみて」といきなり紙を渡されたことがあった。これはポジティブ系の声のかけられ方(?)だったが、別のサイキック占い(?)師には「近々大きなことがありそうだから、一度来なさい」とちょっと険しい顔で声をかけられたことがある。その人が何を観てそう言うのか、私にはわからないし、どうして私にそれを言わねばならないと思うのかも私にはわからない。まあ普通に「営業活動」なのかもしれないが、そういう方法での「営業」に乗る気はあまりないし、積極的にその内容をその人から教えて欲しいとも今のところ思ったことがないので、ついて行ったことはない。
でも道端でいきなり霧吹きで吹きかけられたような「オオキナジンセイノキロ」という言葉は、しばらくぼんやりそのあたりを漂っているようだった。ちょうど普段は空気より重く、空気の層よりも下を流れている水が、霧状の細かい粒のなると空気中を漂うように、それは私にとって重いのだか軽いのだかわかんないコトバに思えた。

重いのだか軽いのだかわからない、といえば、今日頂いた情報リリースのメールの中に、私がメーリングリストで情報を流すときにトップにつけている文章と全く同じ文章をつけたメールが回ってきて、ちょっと笑った。まるまま真似をされたのははじめてである。(部分的にはかつてもあったし、私もある方のエクスキューズのかけ方がすてきだったので、「真似させていただきます」と真似をさせていただいたことはある)まあ、よい、と思ってまねてくださる分にはよいか、と思うのだが。

あと、「重いのか軽いのか・・」といえば、自動ドアが反応してくれない、ということが昨日今日と連続してあった。これもたまーにあることなのだが、赤外線センサー式の自動ドアの前に立っても、なぜか認識してもらえない、ということがあるのだ。昨日のは、最近の中ではしつこいタイプで、体を動かしても、手をかざしても、まったくドアが開かないので(銀行のドアだったのだよ)思わす手でこじあけたろか、と思っていると、ちょうど向こうから出てくる人がいて、入ることが出来た。
その話を今日会った人にしてみると「また存在を消して歩いていたんですね」と笑われた。どうせ私は体温が低く、血圧も低く、普通の血圧計では心拍が取れないことも珍しくはないし、昔から弟からは「地球外生命体」と呼ばれていたが、私という存在は、どんなふうにみえる存在なのだろう、などとちょっと考えてしまった。

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