えこひいき日記

鳩たち

2004.04.08

2日前に鳩がまたベランダに卵を産んでいるところを発見。ポラロイドで写真を撮った。現在親鳩は片時も卵の側を離れず卵を温めている最中である。順調に行けばゴールデンウィークくらいに雛の姿が見られるのではないだろうか。
うちのベランダでの鳩の産卵は私が確認する限り通算6回目になり、世代は2代目であり、その2代目にとって2回目の産卵である。鳩という鳥類は例えばツバメなどのように産卵時期が決まっているのではなく、卵を産んで育てることのできる環境やタイミングを選ぶのだそうである。そのせいか、1回の産卵で産む卵の数も多くはない。私が観ている限り、鳩たちは毎回2個卵を産み、それを丁寧に育てる。今回の産卵にあたっても、鳩たちはもう1ヶ月くらいはベランダをうろうろしていた。コンクリートの床にしばらく座り込んでいることもあったし、見かけの問題だけで言えばもうとっくに産卵してもおかしくはなかったのだが、鳩にとっては何がタイミングであったのだろうか。わからないが、なんとなくめでたい気分ではある。掃除とかめんどくさいんだけれどもね。
私は無条件に自然や動物を礼賛する趣味はないが、猫や鳩をみて感心することはある。鳩が飛べることも、猫が高いところへ飛び上がれることも、「できてあたりまえ」のように見えてしまうかもしれないが、するべきことをしないとできないことだということは、ひよひよの雛鳥が飛べるようになるまでや、猫が物体の高さと発揮すべきジャンプ力をどのように見定めるのか、そばで見てみて始めて知ったことだ。鳥だって最初からは飛べない。何度も何度も練習する。鳥だけど、飛ぶことを怖がったりもする。猫だって、無謀な勇気だけで高いところへジャンプするわけではない。確信がもてるまで、何度もそれをやってみるのである。けっこう真摯でまっとうな努力なんである。失敗を笑ったりして、事実以上の外部刺激をそこに与えると猫だって鳩だって学習意欲を失う。そういう学習経緯には、人間と猫や鳩の「相違点」よりも「共通点」をより感じてしまう。もちろん、身体的な構造や種としての文化を考えたときに、何もかもを同じということは出来ないし、それをして一種の価値付け(同じだから素晴らしい、とか)を行う気持ちも私はない。しかし「猫だから」「鳥だから」の一言で、対象に対する観察や興味を断ち切る趣味もまた無い。
鳥だから(飛べて)あたりまえ、猫だから(俊敏で)あたりまえ、というのは出来ている場面だけを記憶した人間の確率統計的な先入観に過ぎない。そんなこというんだったら、人間って、何が出来るから人間としてあたりまえだと思われているんだろう・・・などと真剣に悩んでしまう。
目に立つところしか目にしようとしない観察力の無さというものは、ほとんど「無関心」と呼ぶべきものかもしれない。「愛情の反対は憎しみではない。無関心である」という言葉があるが、私もそう思う。関心が持てない、関係性がないと思うなら、どう関係が無いのか、それがわかれば「無関心」ではないと思うのだけれども、関心を持つ意思・意欲そのものを持たない場合、埒があかない。そういう人に限って「関心を持つ(というより、他者に対して反応する)のは「痛み」とか「違和感」とか「不安」とか、ネガティヴな感覚によってのみなので、ますます世界との関係性は持ちづらくなるだろうなあ・・・

いかん、いかん。考えが暗いほうに行ってしまった。今日は、新しくきたクライアントが「ずれてる人」(言っていることと、思っていることが激しくずれていて、まるでアクセルとブレーキを両方同時に踏み込みながらぎしぎししているような感じ。初めていらしたので期待と不安が入り混じっていたのだろうが、最初から「がっかりしない準備」にいそしまれるとちょっと疲れます。「期待しないように期待しているのに期待して、でも期待しないように、でも期待して・・・」って疲れる)で、疲労してしまったことと(ケーキを自棄食いしてしまったわ)、これを書いている最中に「バクダッドで日本人3人が拘束」などというニュースを見てしまったので、つい暗くなってしまった。今日という日にはいろいろよいこともあったのに、いけないわ。
それにしても、イラク情勢は泥沼である。イスラエルもパレスチナも、予想されていたことだったが、泥沼である。暗い気分が広がってしまう。日本人3人が拘束された事態に、日本政府はどう対応するのだろうか。私は自衛隊派遣には反対という意見をもっていたので、ふと「それみたことか、どうするんだよ小泉!」みたいな気分にもなってしまう部分があるので、われながら嫌になってしまう。「それみたことか」なんて本当はどうでも良いことだ。拘束された方々が無事に解放されることを心から望む。
あるニュース解説者が「日本にとって外国人とは日本人にならない人たちのことで、アメリカにとって外国人とはいつかアメリカ人になる人たちのことである」と言っていたのを聞いたことがある。「いつかアメリカ人になるイラク」というのが、ブッシュ大統領のアメリカの論理なのかもしれない。では日本にとってのイラクとは?アメリカの目を通してではなく、日本にとってイラクとはどういう問題なのだろう?
それは、自分自身へも「お前は何がどうだから日本人なんだ?」という問いかけになって跳ね返ってくる。私は何を持って自分が日本人なんだろうか。今の日本政府のやり方と、日本人をやっている私(?・・・でも納税しているしなあ、この国に。国民年金も払ってるし)との間には、どのような関係性が成立しているのだろうか。明確に答えられない自分がいる。

カテゴリー

月別アーカイブ