えこひいき日記
2005年1月11日のえこひいき日記
2005.01.11
昨日から声帯が死んでしまった。ものすごくかすれて不安定な声しか出ない。クライアントには事前に連絡して了承を取り、この聞き苦しい声でレッスンすることを許してもらったり、あるいはキャンセルしてもらったりした。ご迷惑をかけて申し訳ない。
夜になると咳きが出始めたとき(3日ほど前)に、早めに近所の耳鼻咽喉科を受診したのだが結果的に功を奏せず。そのとき医師には「たいしたことない」などといわれたのだが、言われてもなぜか安心できなかった私の予感は当たってしまった。受診した時点からどんどん喉の状態は悪化してしまい、もらった咳止めの薬も効かなかったのだ。まあ近所というだけで其処に行くことにした私の怠慢にも問題はあるのだ。3,4年前に過労で倒れたときにお世話になった耳鼻咽喉科があるのだが(私は体調を崩すと喉がおかしくなることが多い。そのときは高熱と共に喉の炎症がひどかったのだ)、ここからちょっと遠いし、いつもすごく混んでいるので、さぼってしまった私が悪いんである。
ここ4日間ばかりは夜になると咳きが出て、あまり眠ることが出来ない。つまりよっぴいて喉を酷使しているわけで、それが今回の声枯れの原因である。腹筋もすごく使っている。特に寝ていると下腹部の腹筋にインパクトを感じる。咳一つするにも、胴体のみならず、脚のあたりも動員しているのだななどと思う。
しかし基本的にしんどいのは声や咳のことだけで、全体的には意外と元気だ。どうせ咳ばかりして眠れないのだからと、あれこれ本を読んだりしていた。帯結びの本、雑誌などもあったが、以前途中まで読んだままになっていた町田康氏の『猫にかまけて』も読んだ。町田さん家の個性的な猫たちの描写に大笑いしつつ、ヘッケちゃんやココアちゃんが亡くなる話では号泣してしまった。
猫を愛し、猫と暮らしている者にとって、その「死」の物語はけして他人事ではないと思う。死は、受け入れるけれども、納得するとか、そう言うことではありえない。少なくとも私にとっては。どの死についてもそうなのだろうが、ことさらに愛する猫の死にはそれを感じる。なぜか人間の死の方がもうちょっとは納得できたような気がする。出来る事は全てやったと思っても、もっと何か出来たのではないかと、死を受け入れながらも思うのだ。
「料理はおいしかった。しかし、ココアはなにも食べられない。家の者はあまり食べられなかった。ところが自分は食べておいしいと思った。俺はいい加減な奴だ。呪われよ、俺。」
(以上、町田康・著『猫にかまけて』 講談社 より引用)
「ココアが惨憺たる状態であるにもかかわらず、原稿を書き始めるとその世界に集中して、一定程度書いてしまう俺というのはいったいなんなのだと思う。ヘッケが死んだときに非常に後悔したのは十四箇月しか生きなかったヘッケが、遊んでほしそうにしていたにもかかわらず仕事を優先してあまり遊んでやれなかったという点で、そのとき私は、こんなに早く死んでしまうのであれば仕事などやめてもっと遊んでやればよかったと思った。そしていまココアが気息奄奄、苦しんでいるときに仕事をしてその世界に没入している。自分や自分の周囲の事をまず優先してしまっている。口ででんな立派なことをいっていてもこんなことではまずだめで、(中略)仕事をよい加減で切り上げて、自宅に戻った」
4年前にネリノの訃報が実家から入ってきたとき、私は仕事中だった。その前の1週間は仕事が終わると毎日ネリノの様子をみに実家に通っていたので、ネリノの死は突然の驚きというよりも、予想できる範囲の、でもできるだけ的中して欲しくないと願い続けていたことだった。訃報の後も、私は数時間講座を行っていて、普通に声を出し、笑ったりしていた。そのことを後悔しているわけではない。しかしどこかで苦々しく思っている。「猫がなくなったから」とクライアントを追い返し泣き喚くことをした方が良かったとも思わないし、他にどうした方が良かったのかと思い浮かぶアイデアもないのだが、しかし今もって苦しく思う。とてもやるせない。
そんな思いを抱えながら、傍らのメフィーを見る。メフィーは暖房にあたりながらご機嫌で寝転んでいる。それを見てほっとしながら、また考える。かわいらしさって、切ない。生きているときから切ないんだもの、このこが死ぬときは、それこそ自分も死ぬくらい悲しいだろうな。でもそれは避けられないし、悲しむかもしれないなどと今から事前に悲しくなるのは程ほどにして、おいしいご飯のことや心地よく寝転べる毛布選びを心配した方がよいと思う。
そうやって一日一日を生きていくしかないのだ。