えこひいき日記
2005年2月13日のえこひいき日記
2005.02.13
東京出張から帰還。たった1泊2日の出張だったのだが京都に帰ってきたときに「ものすごく久しぶりに帰ってきた」感じがした。そのくらい濃い1泊2日だったのだ。何人かの人と会った。そのどれもが素晴らしい時間だった。こんだけみんな「ビンゴ」というのも素敵。何ゆえそれらの出会いや時間が「素晴らしい」と感じられるかというと、どの方も「生きている」という感じがすこやかな光のように暖かく伝わってくる人たちだったからであると思う。「生きている」なんて生命体としては当然なのかもしれないが、ただ生物として生存していることだけが“生”の意味なのではなく、ほかならぬ本人が自分の“生”を受け止めていなくては本当に「生きている」ことにならないような気がする。言葉でいるのは簡単だが、言葉でいるほど簡単な生き方ではない。全部は書けないが、愉しかったのでちょっと書いてみようと思う。
今回の東京行きの目的はJ&Mの東京公演を観るためである。大阪公演は招待をいただきながらも体調を崩していたので観にいけなかった。今回の作品に関して私が事前に拝見したのは昨年のリハーサルのみ。多忙を極める彼らなのでレッスンに来る回数もめっきり少なくなったし、コンタクトする回数は年々減っているわけで、それが寂しいような気もするが、一方で作品のクオリティはより綿密で繊細なものになっているので、作品を観てしまうと「寂しい」とかいうことはどうでもいいような気がしてくる。軽やかな作品であるように見えて実は交響曲のように重厚。ちょうど口当たりの軽い料理がけして手間のかかっていない料理ではないように、あるいは繊細な絹糸を織り合わせて重厚な絨毯を仕上げていくような作品作りだということが、どんなに軽やかでも本番からしのばれる。振り付けと出演をこなす彼らもそうだが、スタッフもすごく努力してくれていることがわかる。これって、すごいことだなと思うのだ。そういう意味もあって、とても嬉しい気持ちになった。
しかしながら嬉しいことばかりではないのが世の常。それが常ならむ世であればそれを踏まえて受け流すのも大人の振る舞いかと思うが、私は結構まともにへこんでしまう。パートナーは「他人に発射された銃弾をみて勝手に死ぬようなものだねえ」と言うのだが、そうかもしれない。しかし真剣にへこんでしまう。「銃弾」の一発はアフタートーク(これは「勝手に」というよりこちら向きの「銃弾」だが)、もう一発は会場に来ていた評論家。もうこの「えこひいき日記」の中では何回も書いておりますけれども、アフタートークって総じて創造性の乏しいんだもん。せっかくの余韻が失せる。どうせやるんだったら、アフタートークによって何を観客に伝えたいのか、何を創出したいのか、まじめに考えてからやって欲しい。確かにダンサーの生の声が聞けるのは貴重だけれども、だからといって何かの施しのようなつもりで企画しているんだったら、ほんとにもう止めていただきたい。そうまで思っているのに会場を去らなかったのは、これが終わらないと出演者に会いにいけないからである。で、トークが終わったらロビーにて軽い打ち上げが始まった。ロビーの客に飲み物が配られ、出演者の登場を待つ。出演者がやって来て、なんとなく会が始まりはしたのだが、そんなに本格的な会ではないし時間も限られている。その上、某評論家が難しい顔をして出演者を独り占めにしてしまい、一言出演者に声を掛けたい多くの人を締め出したような状態のまま会はお開きの時間になり、追い立てられるように会場を出ることになった。評論家が何か芳しくない「評論」を出演者に投げかけていたのは明らかで、すこし離れた場所にいても空気がにごるのがわかった。ああやれやれ。その様子を見て私は本当に気分が悪くなり、夜の三軒茶屋をへなへな歩いた。
へろへろになって歩きながら昼間歩いていた青山墓地の中にある紅梅のことを思い出していた。墓地の中に大きな梅の木があって、その木は大きい上に早咲きの梅ということで知る人ぞ知る梅の木らしいのだが、私はたまたまその木に行き着いた。祭日とはいえお墓参りのシーズンでもない昼間の墓地にあまり人影はない。しかし梅の花は愛らしくも満開。馥郁として清らかな香をあたりに漂わせていた。その佇まいの、静かなる説得力。美しいものだな、と私は思った。
新島襄の歌に「庭上の一寒梅 笑うて風雪を冒して開く 争わず また努めず 自ずからしむ百花のさきがけ」というのがあるのだが、思わずこれを思い出した。もはや同志社の校歌も覚えていない私だが、この歌だけは覚えている。競争して一等になって咲き笑うのではなく、誰と競うではなく、無理をするのでもなく、やがて咲き誇る春の花々のさきがけとなる梅の花。新島襄がそれに深く心を寄せたように、私も思いがけず出遭った梅の見事さに心を奪われる。私もこの梅のようでありたいと思う。多くの人に見られるために咲くのではなく、見られているから美しくあるのではなく、自らの花を咲かせていきたいと思う。たまさか縁あって出会った方の心に、この梅の何分の一かでも何かを思ってもらえたらそれ以上のことはないような気がするのである。
J&Mは梅の木なのだと思う。少なくとも私にとっては、確実に。そう確認すると私の心はすこし救われたような気がする。でもそれはけして自己救済のために思った戯言ではない。きっと多くの人が静かに咲くさきがけの花を観ていることだろう。
その翌日、私はある朗読会に行った。それは『声のライブラリー』と題された催し物で、作者自身の朗読が聞けるというのがポイントなのであるが、今回私のお目当ては町田康氏だった。(「だった」という過去形で記すわけは後で書きます)
最近私は町田康氏の著作にはまっており、夜な夜な読むので大変寝不足である。読まないと眠れないし、読んだら寝られないのでエンドレス地獄なのだがはまらずにはおれなかった地獄なので仕方がない。『猫にかまけて』からスタートし『へらへらぼっちゃん』『つるつるの壷』『きれぎれ』『爆発道祖神』『実録・外道の条件』『権現の踊り子』などをたてつづけに読んだ。かわいらしすぎる。危なすぎる。まじめだなあ。すごいな、この人、と思ってしまった。知らないで道ですれ違ったら思わずよけてしまうかもしれないが。
小説でもエッセイでも、彼の文章は声が聞こえるような文体である。口語的な表現も多い。しかしそれがけして乱雑ではない。朗読語の座談会の中で同席の方(金子氏)が「西鶴」と表現したが、まさに無頼の洗練。これを本人が読んだら(詠んだら)どうなるんだろう・・・わくわくしながら会場に向かった。
100枚のチケットは完売。余裕を持って会場に行ったのに、既に多くの席に人が座っていた。あとから気がついたことだが、会場で販売される本に関しては後に著者からのサイン会でサインをしてもらうことが出来るのだが、人数調整のため販売部数は限られているのである。みなそれを手に入れるために早々と会場入りしているのであった。なんということでしょ。私がたどり着いたときに既に本はなくなっていた。そういうわけで私は見事サインしてもらう本をゲットし損ねた。がびーん。
しかしながら朗読会は想像以上によい会であった。私は卑しくも町田康氏目当てで脚を運んだのだが、この日に一緒に朗読をされた金子兜太氏と稲葉真弓氏の朗読が本当に良かったのである。勿論本が良いので、ご本人でなくても例えばプロの朗読者が読んだのであれば朗読という表現においては更に巧みな表現が存在するかもしれない。だいたい作者による朗読なんて常ならぬことで、現に町田氏以外の人物は「朗読なんてしたことがありませんが・・・」と前置きをした上で朗読されていた。しかしなんだかとてもよかった。文字としては誰が読んでも同じ文字なのだけれども、その一言の奥行きに自然に納得が出来るような感じ。特に金子兜太氏はすごいなあ、と思った。年齢的に言えば町田氏と金子氏は孫と祖父くらいの年齢差があるのだが、本当に町田氏を認めてかわいがっている感じがしたし、テンションの若さと懐の深さ、信念の強さを感じた。大人である。すてきだなあ。なんだかとっても愉しくなってしまった。
しかし世の常としてここでも妙なことが。朗読をする先生方のすぐ横の席・最前列に個性的な感じの女性が座っていた。ちょっとテンションが高く、金子氏にもタメ口で話し掛けたりしていたのでお知り合いなのかしら?とも思っていたのだが、しかしそれにしても振る舞いがちょっと奇妙なのだ。壇上で作家が朗読中にばさばさと音を立てながら紙の束を出しては床に置くのである。紙にはイラスト。この方はイラストレーターなのかもしれないんだが、しかし朗読中にばさばさ出す意味がわからない。それが一回や二回ではなく、思い出したように何度も出しては床に置く。一体何をしているのか分からない。本人はそ知らぬそぶりをしているが、こういう物音って、結構うるさいのよ。でも明らかに「退場!」と宣告するほどの迷惑でもないし、いわば小ぶりな迷惑。こういうときに、どうするべきか、なかなか悩ましい。彼女の不思議な動作は彼女の前にカメラが入ってきたときにやっとやんだ。(『声のライブラリー』では朗読の様子を映像としても残しているのだ。そのカメラが壇上の朗読社と彼女の間に割り込むなり、彼女は床のイラストを退けて、一連の作業を止めたのだった)朗読の後の座談会も終わり、お開きになったときにも「バレンタインだからあげるー」とタメグチで町田氏に箱を差し出していた。記憶にある限り町田氏は特に反応せず。全くもってどちら様なのかわからない方であった。
その後日本橋に移動し、T氏という画家の個展を観にいった。T氏の絵はパートナーの勧めで京都での個展を観にいったのが初めてで、それは去年のことであった。独特の絵を描く方で、記憶、とか夢、とかいう言葉が思い浮かんだりもするのだが、空想的にファンシーになりすぎることなく、透明感のあるリアルなノスタルジアを感じる絵画である。私は彼の絵を観るとき、それがキャンバスの形をした「窓」のように思えてしまう。今の自分の隣にある「世界」に開かれた「窓」。「窓」を開け放ってその外に広がる世界に見入る。
ちょうどT氏もギャラリーにいらして、そこにお友達のイラストレーターや装丁家の方などがいらして、図らずも話が弾んだ。こういう予期せぬ出会いって愉しいなあ。
そのまま遊びに行ってしまいたいくらい愉しかったが、個展会場であるデパートは閉まろうとしているし、新幹線の時間もあるのでお別れしたが、帰りながら「愉しかったね」と何度も言った。
へこむこともあるし、変なこともあるけれど、がんばって生きよう!と思った1泊2日であった。