えこひいき日記

2006年3月21日のえこひいき日記

2006.03.21

建築家であり「キョウトダンメンロシュツ」のカリスマであるY氏から引っ越し祝いに桜の鉢植えをもらう。わーい。彼は最近ちょこちょこテレビ番組に出演したりと、カリスマ街道まっしぐらなのだが、この際なので是非がんばっていただきたい。

話題はがらっと変わるが、私はよくデパートに行く。単純に申し上げて事務所からも自宅からも近くて便利だからなのだが、特にDデパートのいわゆる「デパ地下」にはよく行く。
Dの野菜売り場には、私が密かに「魔の野菜売り」と読んでいるおじさんがいらっしゃる。種も仕掛けもなく、野菜売り場の売り子さんなのだが、このおじさん、ただならぬものがあるのだ。このおじさんの声を聞くと、私はどうしても「野菜を買わなくてはならない」ような気分になってしまう。
どこのスーパーやデパ地下でもそうなのかもしれないが、夕方になると各売り場ではセールが始まる。それぞれの売り場の売り子さん達が声をあげ、賑やかである。特に食料品売り場では、呼び声が彼方此方から上るので、賑やか過ぎて個々の声が何を言っているかわからなくなるほどなのだが、そんな音声の海を縫ってなぜか届く一つの声があるのだ。それが野菜売り場のおじさんの声なのである。
おじさんの声はけして他の人よりも音量が大きいというわけではない。どちらかというと、だみ声系で、低温で、声楽的な「良い声」というのとも違うように思う。呼び声の内容が変わっていて耳につく、というのでもない。しかし低音の抑揚で「やすいよ、やすいよ、ほうれんそう100円、はい、100円」という波状攻撃を何度かかけられると、いつの間にかおじさんの声がしていないときでも「ほうれんそう100円」が頭の中で回り始めるのである。林檎を見ていても、魚を見ていても、他のお兄さん達の呼び声を耳にしても、なぜか一端頭の中でリフレインされ始めた「ほうれんそう100円」のパワーは弱まることがない。特にほうれん草を使った料理を作ろうと思っている日ではなくても、ほうれん草のことが気になり始めるのである。私はこれを「ほうれんそうの呪い」と呼んでいる(野菜はその時々によって変わりますけどね)。「今日はほうれん草、使わないもんね」と自分に言い聞かせ、他の売り場を回ったりして「ほうれんそうの呪い」を振り切ろうとするが、最終的には「数日中に使うし」という理由をつけてほうれん草を買ってしまったりする自分がいる。本当に数日中に食べちゃうので、別に損をしているわけではないのだが、私はおじさんの呼び声を楽しみにしつつも恐れていたりするのである。

この「呪力」の強いおじさんは、実は以前実家の近所の市場(今はスーパーマーケットになってしまって、なくなった)にいたおじさんであることが最近判明した。気がついたのは、偶然に買い物に来ていた母だった。「独特の声だからね、すぐにわかった」と母は言った。ということは、私もこどもの頃に聞いた覚えがあるということなのだろうか。それは私が感じるおじさんの「呪力」と何か関係があるのか否か。それはわからない。ただ「独特」と母も言い表すところの何かはあるのであろう。むむむ。おそるべし。
そういえば私はこどもの頃、今はないその魚屋さんをしかってしまったことがあった。魚屋さんの「やすいよ、やすいよ」の呼び声に対して「うるさい」と言ってしまったのである。魚屋のおじさんはばつが悪そうな顔をして「ごめんね」と言ってくれた。こどもの記憶だからあてにならない気がするが、そのときの私には魚屋のおじさんの声は大きくてこわくて、内容が聞こえない声に思えたのだ。売り子さんの呼び声にクレームをつけたのは後にも先にもこのときだけであるが、人の注意をひきつける声と、せっかく出しているのにどうでもない声と、人間のすることは面白いなあ、と思う次第である。

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