えこひいき日記
2006年10月6日のえこひいき日記
2006.10.06
本日は仲秋の名月。しかしながら見えるかしら。
先月半ばから週に一度、京都造形芸術大学の『講座日本芸能史・後期 まう芸とおどる芸』というのに通っている。一般公開の講座である。これが予想以上になかなか楽しい。この講座の楽しみは、普段だったら自分の好みで限られたものしか観にいかない日本の伝統芸能を一通り網羅して理論も含めて触れる機会を与えられることと、いわゆる古典芸能が好きな方なら一度はどこかでそのお名前を見聞きしたことのある講師の方が直接それぞれの言葉で解説してくださるのに触れられることだろうか。そして何より、普段はやくざにも人様を教えている身ではあるがその立場を離れ、人のことなんかぜーんぜん考えずにセルフィシュに(失礼!)自分の興味のあることを貪る時間が与えられることが楽しい。
その講座の帰り、タクシーに乗っていて運転手さんから話し掛けられた。私はどちらかというと、運転手さんから話し掛けられやすいほうなのかもしれないが、その運転手さんが話し始めたのは自分の父親の死の話だった。もちろん乗車したとたんにいきなりその話をはじめられたわけではなく、最初は「日が暮れるのが早くなりましたね」などと話していたのだが、話題が京都市内に居を構える有名人の話に移っていって、その流れからこんなことを話し出されたのだった。「そういえば、ホソキカズコさんも京都にお家があるんですよね。それにしてもなんですね、ホソキさんは、ギボアイコさんが亡くなってからテレビに出てきましたよね」「はぁ」と私が消極的に応じると、「でも、あれですよね、ホソキさんは占いの人だけれども、ギボさんはね、違うからね。死んだ人のね、言葉を預かったりするからね」などというので、私が「占い師と、霊媒さんとは違いますものね」などと応じると、ご自分の父親の話をし始めたのであった。
その運転手さんは沖縄の方で、沖縄が返還された年に不幸にも父親が交通事故でなくなったのだそうだ。どうやら米軍関係者の運転する車に轢かれたらしい。「そういうふうに人が亡くなるとね、沖縄ではギボさんみたいな人のところに行くんですよ」と運転手さんがおっしゃるので「ユタですか」と私が言うと、「え、お客さん、ユタ、知ってるんですか!?お客さん、沖縄の人?」というので「いいえ、京都のヒトです」と答えたのだが、よっぽど「ユタ」が通じたのが本人にとって嬉しかったのだろう、お父さんの死の時の話をしてくださった。運転手さん曰く、ユタはお父さんがどのようにして亡くなったのか、その最後の様子をつぶさに伝えてくれたのだという。「お客さん、僕ね、そういうの信じるほうじゃないけどね、でもありがたかったの。父がどんなふうにして死んだのか聞けて」お父さんは亡くなるときにサンシンを手にしていたと、ユタに教えられたのだという。「だからね、僕はサンシンを大事にしているの。お祝いの席、人が集まると、弾くの。今もね、そうすると父親が喜んでくれているような気がするのね」運転手さんはひとしきりサンシンやお祭りの話をしてくれた。
父親の死後の彼の人生は、けして安穏なものではなかったようだ。一家を支えるために本土に出てきたことも話して下さった。けれども運転手さんがしてくださった話は「あたたかい」感じがした。父親の亡くなり方にしてもけして安らかなものではなかったと思うが「死んだときのことを知れてよかった」という彼の言葉になぜか私も救われたような気がした。その「死」を知ることが彼の「生」を支える強い力になっていることをしかと感じられたような気がしたからかもしれない。
タクシーを降りるときに運転手さんにお礼を言うと、「沖縄に行くことがあったら、僕のことを思い出してくださいね」と言われた。にこやかな表情と口調だったが、単なる社交辞令以上の気持ちがこもっているように思えて、印象に残った。
その話を知り合いの僧侶にしてみた。彼は脳関係の科学者でありつつ僧侶でもあるという人物である。平日は学者、週末は僧侶というすさまじい生活を送っている人物だが「どちからかだけでは生きている気がしない」とおっしゃる。彼を見ていると、そうだろうな、と普通に思う。
彼も月参りで檀家さんを訪れると不意に夢の話などをされることがあるという。それも偶然に一軒、とかいうのではなく、何軒か続けてそういうことがあったりするらしい。「夢に亡くなった方が出てきたんですが、これは何か訴えたいことがあるのでしょうか」みたいな話だ。そういう話を月参りに訪れた僧侶全員が受けるのかどうかは分からないが、でも、私の目から見てそういう話を彼にするというのは「檀家さんもお目が高い」という感じがしてならない。どういう勘が働いてのことかはわからないが、人は無意識の勘で「通じる」人を選んでいるような気がするのだ。通じる人にしか通じる話はしないものだと思う。まあ通じたからこそ「話」として認識され、もしも通じていなかったならば「なにもなかった」ことにされるだけではあろうが。
あの運転手さんがどうして私にあの話をなさったのかはわからない。乗車客全員にしているのか否かもわからない。そういえば私の場合、クライアントさんと話をしていても意図せずしてその方と関わりのある人の「死」の話になることは珍しくない。クライアントさんと話をしているときは、それが一見カラダの話とかけ離れているように見てもそうではなく、実は深くその人の「生」に食い込んだ「死」の話であるというある種の納得感を持っているのだが、業務外でもこういう話に触れると不思議な気もする。しかし不思議であると同時に当然のことであるような気もする。僧侶も、どちらかというと「芳野さんなら、当然」という路線で観ているようだ。何がそう思わせるのかは知らないけれど。
しかし造形大で舞楽に関する講義を聴いて、くらくらしているときにそういう話になり、本当にくらくらきてしまった。自分が何か巨大なゲーム盤の中に組み込まれているような気もするのだが、それならそれで遊んでやれ、という気もしている今日この頃なのである。