えこひいき日記
2008年12月24日のえこひいき日記
2008.12.24
いわゆる、クリスマス・イヴです。この「えこひいき日記」を更新するのもたいへん久しぶりになってしまった。ごめんなさい。何をしていたかというと・・・単純に、いや、単純でもないが、仕事してました。日々。毎日。でも、「仕事」とは言い難いことでもとても忙しく、えっと、具体的には「物語」をいろいろ読んだり、少し調べたり、この数カ月で相当数の神社・仏閣を回ってました。いやー、おもしろかった!!どうおもしろかったかはまた後日。でもこの経験は自分自身にとって大きかったと思います。たぶん、本にして書くね。直接的ではないと思うけれども。
ところで、クリスマス・イヴ。さきほど、よんどころなき事情があってデパートまで行き、いわゆるデパ地下をのぞいてみたのだが、すごい光景であった。混雑具合もなのであるが、私がぎょっとしたのはチキンさんの数。見渡す限り、鳥料理。丸ごとのローストや、モモ肉のロースト、空揚げ、カツレツ・・・普段、洋風の鳥料理なんか置いていないお店まで軒並み焼いた鶏の料理を置いている。
なぜ?なぜ?どうして、そこまでして?クリスマスと言えば鳥料理、というのはもはや日本の伝統なのか?!なんで無理やり(?)鶏食べんの??いったい何を祝ってるの??
わたくし、チキンは好きなんですよ。でも(それだけに)、申し訳ないけれど、ちょっと気分が悪くなってしまった。どの店を見ても、個性をなげうっての鶏のお料理。なんでなの?もっと多くの店が「今日が誰にとって何の日であろうと、それはそちらさまのこと。うちは今日もこれでいかしてもらいます」くらいのポリシー、持ってもおかしくないし、損もしないと思うのだが。この日のために絞められた鶏さんって、普段の何倍なのだろう?そしてこのたくさんの鶏さんは、みんな無事に誰かの胃袋においしく納まって、鶏肉としての本懐を遂げることができるんだろうか・・・なんだか奇妙な気分になってきてしまった。
このところ、日々暗いニュースを聞くことが多かった。「100年に一度の大不況」「派遣切り」等々と、先行きの不安どころか、ある人にとっては今日の、今の生活がもう見えないんだ、という報道を聞いてきた。職と住居を失った人たちのための援助や炊き出しの映像なども見た。でも、このデパ地下の光景は何なのだろう?見ようによっては、「不況の中でも平和なクリスマス・イヴ」の光景ともとれるだろう。そう解釈することで、ある種の安堵感を感じないでもない。「気持ち悪い」と感じた私でさえも。でも、この、あまるほどに同じものが並べられている光景こそが「今」なんだとも思う。大量に安く飼育されて、一気に市場に排出されて、たとえ供給過剰になっても捨てるのは惜しくないから心が痛まない・・・なんて、クリスマスのチキンも企業から見た派遣労働者の扱いも、一緒の論理じゃないか。あふれ出した分を惜しいと思わないで済むように、それ自体の価値を下げる。その一方で、大量に同じものが売れるように消費者心理をあおって消費の欲望を洗脳する。誰かも持っている何かを自分も持っていないと、カッコ悪い、と思うように。「みんな」がしていることを自分もできないと、「おくれてる」と慌てるように。そして同じことをするならば、自分だけが「他人」よりも少しだけ優れなくちゃ、と思うように。それを「自分らしさ」などと呼ばせるように。
この大量消費の維持、何のために何をしているのかもわかっていないのに、「みんな」に遅れないように何かしてみせることができなくちゃ、と、思っているとも思っていないのに思っているようなことを「幸せ」と呼ぶなら、それとおんなじものを今後も維持すべきだとは思わない。リーマン・ブラザーズの破たん、アメリカのビック3の経営不振、円高・・・そういうことで、すごく苦労をする人がいることを思うと心が痛いが(私だってけして他人事ではないです)、それでも、アメリカ型のグローバリズム経済はそろそろ終わっていいと思う。
ほんとうは、幸せとは何かなんて、しちめんどくさく考えたくないとも思う。幸せには、ただただ浴していたい、と思う。でも、考えなくちゃ。自分の生き方ってやつを。