えこひいき日記
2012年6月4日のえこひいき日記
2012.06.04
まるで「日記」が「月報」のようになってしまっている。許されたし。
ところで最近、うちのベッドとマットレスが寿命を向かえた。長くお付き合いいただいたものとはいえ、かたちあるもの。いつかこんな日が来る、とは思ってはいるが、こうした大物の「臨終」はなかなかの「イベント」となる。
まず異常を示したのはベッドだった。何度かの引越しを経験し、その度に解体と組み立てを行ったせいか、最近になって急にやたらときしむようになってしまった。私は物音に弱いたち。加えて睡眠不足に弱い。身動きするたびにきしみ、きしむたびにきっちり断眠され、まいった。とりあえずベッドの足の部分やパーツが合わさっている部分に地震対策で使うようなジェルシートを入れてみたりもしたが、きしみは解消されなかった。
続いてマットレスのへたりが気になりだした。ベッドが先だったのかマットレスが先なのか、わかんないのだが、確かこのベッドとマットレスはセットで購入したから、仲良く臨終の時期を迎えたのかもしれない。きしむベッドとたわんだマットの相乗効果なのか、起き抜けに腰が痛くなり始めた。それは多分この20年間は無縁だった、ゆゆしき不快感である。
ともあれ、こうした大物の同時買い替えは、「イベント」だ。作業的にも、経済的にも「おおごと」「お祭り」なのだ。わくわくするが、ひやひやもするし、勇気(?)もいる。すなわち、買い換えるったって、どんなのと?!という問題が浮上するのだ。
今使っているものの新品を購入するというプランは考えなかった。どうせなら、使ったことのなかった、新しいモノを試したい。それも「よさそう」と思うモノを!
だが、私にとって「よさそう」とは何なのだろう?それはどういう基準で選ぶべき?
といいつつ、私は意外と迷わない。洋服屋さんとかでも言われるのだが、私はあんまり「迷わない」買い方をするらしい。自分で意図してそうしているわけではないので、事後の勝手な自己分析なのだが、多分その意味は、あんまり「迷う」ことに時間をかけない(基準のない「迷い」を持たない、というか)、プラス、迷う(探す)ことを面倒に思わない(「面倒」に感じるレベルまで時間を費やさない、ともいえる)というようなことなんだろう。
だから私の探し方は非徹底的である。果てしなく全方向的に「よさ」を追及するのではなく、捜索半径をかなり現実的に切っているからね。大型ゴミにベッドとマットレスを出してしまうタイミングと、新品が届くタイミングも合わせなくてはならないし(でないと、床で仮眠、ということになってしまう。きしみで断眠を経験していた私には避けたい状況だった)、ベッドを置く場所、大きさなど、既に「迷わない(迷う必要が無い)」条件もある。
となれば、残された「迷う」条件は「機能」と「価格」だけだ。
最も「迷う」ネタになったのは「機能」だった。「価格」も、予算というものがあるのである程度規定されるのだが、「機能」とのからみによっては多少の変動もあり。では私にとって「機能的」と呼べるベッドとマットレスとは、何か?
まず、ベッドに関してはまず「きしまないこと」。あたりまえか。別の言葉にすると、安定感とかある程度の頑丈さ、ということになるだろうか。
あと、組み立ては自分で出来ることが前提なので、組み立てが複雑だったり、パーツが重過ぎるのはNGとなる。デザインはシンプルなもの。私は眠ることが好きなので、なるべく豊かでシンプルな気持ちになれる寝所がいい。
そうやって考えた結果、木製のすのこタイプのベッドを選んだ。ちなみにそれまではアイアンベッドだった。
マットレスは、ベッドよりも悩んだ。デザイン的要素よりも、選ぶ要素が「機能」に集中するからである。私が期待する「機能」とは「寝姿勢が安定できること」である。睡眠中の小規模な動きやすく、骨格が支えられ、軽くて、通気性がよくて、へたりにくそうなやつ。
まず「重いのは嫌だ」と思った。ベッドがきしみだしてから、点検も兼ねて何度がマットレスを動かす作業を繰り返したのだが、スプリングマットレスは重い。重いのは、私は広いベッドに「のうのうと」寝るのが好きなのでダブルサイズを使用しているせいもあるんだが、ともあれ、スプリングを使用したマットレスは厚みもあって重い。スプリングやコイル独特の弾性はある程度体格が大きい人には向いていると思う。だが私の場合は必須用件ではない。
では、ジェルかウレタン系のマットレスか、という選択肢が浮上するわけだが、この場合気になったのは「通気性」。もちろん、低反発、高反発のどちらであっても、最近のウレタンマットレスは通気性にも配慮した製品が増えてはいる。
最終的に今回選んだのはポリエチレン樹脂のマットレスだった。これは通気性がよくて薄く、大きさの割にはとても軽い。
ポリエチレン樹脂マットレスの「硬さ」は私にとって冒険だった。初めて使ってみるのものだし、これが一晩中身を横たえてみて私の身体に合うのか否か、使ってみなくてはわからない。大きさ・価格ともに「大きな買い物」だけにどきどきである。
結果から言えば、私には合っていた。ふんわりと包まれるようなファーストタッチを望む人は好まないかもしれないが、薄くてもしなやかでちょっと無骨な硬さがいい感じのサポートとなり、寝心地・目覚めは断然快適になった。
また、「寝心地」は寝ている間だけのことではなく、その後の起きている時間の心地にも影響していることも経験した。きしみ・へたりの最中には意識していなかったのだが、新しいマットレスに変えてから昼間の座り姿勢がそれ以前よりずっと快適になったのだ。いつもより長い時間すわり仕事が続いても快適に感じるようになった。逆算して考えれば、マットレスのへたりから来る起き抜けの腰痛は、睡眠不足などの体調不良要素と合わさって、昼間とる体勢全てにじわっとしんどい影響を与えていたのだ。幸い私の場合はノックアウトされるほどのしんどさではなかったが、腰痛や疲労がある人、激しい運動などをしている人ならば、もっとシリアスな影響があるかもしれない。恐るべし、睡眠クオリティー!
という、楽しいお買い物話をしたわけであるが、全てのお買い物が成功に終わるわけではない。
最近で一番「痛い」買い物となったのは、某スポーツシューズ・メーカーが発売しているタウン用のパンプス。「歩きやすさ」という「機能」を「期待」しての購入だったのだが、少し甲が高い私には靴のくりが狭く圧迫がかかり(それはストレッチャーで直しを入れたのだが)、なぜか左足のソールだけ私には幅が狭く、靴の中で横滑りするような具合になり、それを安定させようとして甲がねじれて指はアッパーに押し付けられる結果になり、甲から足指に腫れとあざが出来てしまった。あざは消えたものの、ねじれが入った甲は今でも少し痛かったりする。
ソール幅へのチェックが甘かった私が悪いのだが、デザインは気に入っていたし、お値段のことを考えると悔しかった。とはいえ、嘆いていてもまた履けるようになるわけでもないので、ええぃ!と捨てた。短い縁であった。
「機能性」「機能的」という言葉はよく聞かれる。食品でも、下着や靴でも、家具やカーテンにも、その言葉を冠した製品は数多く出回っている。魅惑的で、賢げな言葉だ。よくわからないが「よさそう」だし、「機能的なモノを選ぶ人は機能的な人」「これを選ぶ人は賢い人」と言われているような気さえしてくる。
ただ、そう書いてあるからといって、製品が勝手にこっちのココロを読んで自動的に望みを叶えてくれるわけではない。製品の「機能」が本当に私たちの「望み」のモノなのかどうかは、何を望んでいるかを知る自分にしかわからないことなのだ。
考えてみれば「機能」を持たないモノなど、ない。原子力だって殺し屋だって「機能的」なのだ。その「機能」で叶うこともあるが、望まない「機能」も、それがそれである限りどうしようもなく備えていることがある。それを選べるのは、「欲しいモノ」を知っている自分、だけなのかもしれない。