えこひいき日記

2017年7月19日のえこひいき日記

2017.07.19

先日、日も沈んだ御池通を歩いていたら、歩道を歩いている大きな虫が目に入った。
はじめはゴキブリかと思ってぎょっとした。
でもよく見ると、それはセミの幼虫だった。きっと、御池通の並木の土の中にいたのが出てきたのだと思う。

京都の御池通をご存知の方なら思い浮かべていただけると思うが、この通りは比較的車道も歩道も道幅が広い。自転車専用のレーンもある。車道沿いには樹木が植えられ、樹の下には近隣の方々が花壇やビオトープを作って世話をされていて、車通りの多い中にも季節の緑を感じられる場所なのだ。祇園祭の巡行では、山鉾も通る。
夏にはその並木にいるセミの声かしましいほどだから、セミの幼虫はこの樹の下、花壇の土にいたのだろう。7年だっけ?土の中にいるの。(実際には種類によっていろいろらしい。でも短いものでも1,2年は土の中で、7年とは言わないまでも、5,6年は土の中にいる種類もいるらしい)そして7日ほどだっけ?成虫のセミの姿で生きるの。

そうしてやっと土から出てきた幼虫さんなのだが、人通りの多い歩道を横切ろうとしている。危ない。思わず拾い上げた。
どうして土から出てすぐの、並木に上らないんだろう?と思ったが、どうも幼虫は通り沿いの店の明かりに反応しているらしい。本能的に明るい方向へと動き出してしまうのだろう。日の長くなった夏とはいえ、日が暮れれば当然あたりは暗くなり、明々とした店の電灯とコントラストをなす。よく見れば、自転車か人の靴に踏みつぶされたのであろう、セミの幼虫もいた。1匹、いや、よくみれば数匹。
「こんなところにいたらあかん」と声をかけつつ、私は何とか植込みの樹にセミの幼虫をとまらせようとした。セミの幼虫は手の中でうごうごと動き、なんとなく「なんでやねん!どこつれてくねん!」と言っているかのようでもあった。そりゃそうだな。邪魔されているとしか思えないよな。でもさ、助けたいんだよ。

印象的だったのは、幼虫の殻の下にもう羽や成虫の胴体の柔らかさが感じられたこと。殻の下ではちきれそうにそれらが準備されているのが感触として感じられたこと。不思議だなあ、表面の手触りは「うすい・かたい」なのに、目で見ても、茶色くて堅そうなのに、ぜんぜんちがう「かたち」がその下でうごうごしていて、なんだかどきどきする。なんでどきどきするんだろ。こういうものに触れると「いのち」がリアルに感じられるのって、なんでなんだろう。

街路の樹の肌は意外とつるつるしていてセミの幼虫の脚はなかなかうまく引っかからない。ついには草の茂みの中に落下してしまった。草は意外と深いし、暗くて探せない。「がんばるんだよ」と言い置いて私はそこを離れた。
離れてもなんだかしばらく、手の中の感触がずっとあるようで、どきどきしていた。へんな感じ。日常的で、でも普段リアルに感じていないことという意味では非日常的で、とてもかわいらしいような、少し気持ち悪いような感じがして、ずっと考えて居たいようなことであると同時にあんまり長くは考えていたくないような、重要とささやかさが混ざりあった感じ。

そういえば、先日祖母が病院で100歳の誕生日を迎えた。

祖母は8か月ほど前に自宅を離れ、病院で暮らすようになった。入院して間もなく、やわらかい食事も誤嚥を招くようになり、鼻腔から入れたチューブを通しての食事になった。わずかに残っていた筋肉もみるみる落ち、こちらからの声かけに対する反応も日によってまちまちなものになってきた。
それまでの日々が嘘のようだ。デイケアから帰ってくるのに間に合うよう、焦って仕事場を出ていた日々。食べられる夕食のメニューをあれこれ悩み、だんだんと時間がかかるようになる食事の手伝いに苦労していたこと。疲れてイライラした母とのつまらない気分の衝突。
まるで夜のとばりの中で日没の風景をありありと思いだそうとするときのように、ありありした記憶なのにそれが少し幻だったかのような不安が心に混ざる。
健啖家だった祖母が口から食事をとれなくなったこと、寝たきりになり、きっとここで最期を迎えるだろうことを嘆こうと思えば嘆くことができる。
それでも、病院を訪ねて祖母が穏やかな顔でいてくれるとホッとするのだ。「今日もご無事で何より」私はそう声をかける。本当にそう思っている。

祖母が100歳になった日、祖母が暮らした家のそばの天皇陵で祭事があった。なんでも100年ごとにそこに御陵に祭られている天皇さんに雅楽などを奏上して祭事を行うのだそうだ。ということは、前回の祭事は祖母が生まれた時ということになる。
とはいえ、祖母が暮らした家は祖母が生まれた家というわけではない。だから、祖母が産声を上げた傍らで前回の祭事があったわけではないのだが、それでも何やらめでたく、面白い偶然という気がする。

それにしても「100年ごとに故人を祀る」ってどういうことなんだろう、と思う。今祭事を行っている人たちは前回の祭事を知らない。次回執り行う人たちも同じ人たちではありえないだろう。私も次を見ることはない。その誰もが故人のことを直接には知らない。こうした儀式を行う際にどういうテンションで向き合うものやら、にわかには想像ができない。直接的な関係性やリアリティだけでアクセスしようとしても、しようがない感覚だが、でもそこには確かにある種の熱意や敬意が存在する気はする。
人がそういう感覚を抱ける生き物であることに、なんだかうれしくなるのはなんでなんだろう。

100年ごとの祭事や、数年間土の中で過ごして地上に出てくるセミ…そういうふうにたくさんの時間をかけて成されたり紡がれたりするもの、自分一人の人生の時間ではで完成しえないものが連綿と続いていくことに「貴重な感じ」を覚える一方で、日常的にはできるだけ早く成すこと、できるだけ早く進め、できるだけ一人で多くをすることに勤しみ、急ぐ、人間。
時間って、なんなんだろうね。人間にとって。
昨日105歳でお亡くなりになった日野原先生は「いのちとは、自分に使える時間があること」とおしゃっていたと記憶している。
この時間をどう使うか。
からだを使うことと同じように、酷使や使役することだけが「よく使う」ってことではないことは、わかる。
でも時には酷使や使役に近いハードワークであったとしても向き合いたいものもある。
でも地中のセミの幼虫のようなスピードでしかなされないこともあり、その営みこそ「正解」と思えるものもある。
人間って、何なんだろう。どういうふうに生きれば、満足できるんだろう。
ある意味、どんどんわからなくなってきた。その一方で、わからなくても、あんまり混乱しなくなってきたぞ。たぶん、セミの幼虫を握ったときみたいに、生きているどの瞬間にもいろんな感覚が全部あるとわかってきたからかな。

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